ヒマラヤ水晶鉱脈調査編~ヒマラヤ水晶の真の姿~
ヒマラヤ水晶の採掘現場や鉱山を巡る調査
危険を冒してまで何故行くのかって? 答えは単純明快です。 知りたいからでしょう? どんな場所でヒマラヤ水晶が生まれ、どんなふうに採掘され、どのような手を介してカトマンズに降りてくるか見たいでしょう? 人が分け入るのも大変なヒマラヤ山脈の奥地で採掘されるヒマラヤ水晶。 いつのまにやらそういうイメージがついてしまいましたが、そんなヒマラヤ水晶の真の姿を、ヒマラヤ水晶が好きならば見たいと思って普通でしょう? ヒマラヤ水晶の事、もっと知りたいと思いませんか。 人の知的欲求や探究心はすべてを越える力です。 だから行くのです、何処までも。
こちらのコラムページでは2013年11月に行ったヒマラヤ水晶鉱脈調査キャラバンで得た情報や見聞を記載しております。 すべてスパイキーパサルが現地で調査・体験してきた一次情報となります。 外国人どころかネパール人さえも立ち入る事が困難な奥地の鉱山までの記録は今後のヒマラヤ水晶探究における重要な資料になったと確信しております。
ではヒマラヤ水晶ファンの皆様、スパイキーパサルと共にヒマラヤ水晶鉱脈調査の旅に出掛けましょう。
【鉱脈調査裏話コラム001:ガネーシュヒマール産とは】
前々から「ガネーシュヒマール産」という名前は産地を示さないと思ってたのですがね。 今回の調査でいよいよそれが確信に変わりました。 「ガネーシュヒマール産」ヒマラヤ水晶は低いところでダディン地区(行政区画名)の1800メートルほどから産出があります。 そして一番高い水晶鉱山が、4500メートル近辺となり、採掘が最も盛んで産出量が多いのが2700メートルから3200メートルの間です。
ところで皆様、ヒマラヤ水晶やらガネーシュヒマール産やら言うわけですから水晶は雪に覆われたヒマ・アラヤ(雪のある所)で採れると思っていません? 私は14年前のカトマンズ在住時に初めて「ヒマラヤ水晶」という名前を聞きましたが、その際はカトマンズから遥か遠くに望むヒマラヤ山脈の白い峰々を見て「あそこで採れるのかぁ」と思っておりました。
ところが水晶が採れるのは白い峰からは程遠い、緑多い茂る奥深い森のごつごつとし高地変成岩帯です。 暗い森を抜けた峻険な崖、というと何となく映像が浮かぶでしょうか。 テレビでもよくヒマラヤ登山やネパールの特集を放送したりしますので皆様もあの雄大なヒマラヤのイメージは浮かんでくると思いますが、ヒマラヤ水晶はあのような白く神々しい「ヒマラヤ」の峰で採掘されているわけではございません。 高度3000メートル前後に散在するほとんどの鉱山からは遥か遠くにガネーシュヒマール連峰の4つの峰を仰ぎ見る感じです。 非常に綺麗に鮮明に見えますが、白い峰までは随分と遠く見えます。 ガネーシュヒマール連峰の西の尾根の裾野、、、よりももう少し下の山の中。 私の印象ではそんな感じですかね。
では何故「ガネーシュヒマール産」と呼ばれるのでしょうか。
このダディン地区(特にラパ村周辺)から唯一見える白いヒマラヤの峰々はガネーシュヒマール連峰のみですから、広義ではガネーシュヒマールエリアといえるのでしょう。 この地域からは本当に綺麗にガネーシュヒマール連峰が望めます。 鉱山によってはガネーシュヒマールを眺めながらの採掘になります。 そうですよね。 この白い山が見えればそれは「ガネーシュヒマール産」でも良いのでしょう。
そしてもう一つ、非常に単純な理由があります。 これはあくまで私の推測ですが、これらの水晶がガネーシュヒマール産と呼ばれるようになったのはそれがわかりやすいからだと思います。 「ガネーシュヒマール産」ヒマラヤ水晶のほうが見栄えがすると思いませんか? 例えばとある外国人鉱物愛好家がネパールに来た、もしくはまだヒマラヤ水晶が世間に広く知られていない頃ミュンヘンのショーでヒマラヤ水晶に出会ったとしましょう。 「この水晶は何処で採れたんだい?」という質問に対して、「ダディン(県名)」や「ラパ(村名)」「ティプリン(村名)」では外国人にとっては何のことやらわからないでしょう。 しかし山の名前である「ガネーシュヒマール」はそれなりに名が通っておりますし、外国人にも分かりやすい。 ましてやヒンドゥー教の神様ガネーシュの山ですし、ヒマラヤのひとつの峰の名前の方が格好良いでしょう。
日本に置き換えるならば、富士山Mt.Fujiは誰でもわかりますが、静岡県Sizuokaや山梨県Yamanashiは外国人にはわからないですよね。 このようにして「ガネーシュヒマール産」と呼ばれるようになったのではないかと思います。
話を戻しますが、この地域からは本当に綺麗にガネーシュヒマール連峰が望めます。 鉱山によってはガネーシュヒマールを眺めながらの採掘になります。 それは心を奪われる様な景色です。 そうですよね。 この白い山が見えればそれは「ガネーシュヒマール産」でも良いのでしょう。 かくいう私も結局は「ガネーシュヒマール産」という冠は格好良いと思いますし、それで一般的に通っている以上、ガネーシュ産はガネーシュ産で良いのです。 それに商売繁盛の神様であるガネーシュが住まうヒマラヤからヒマラヤ水晶や美しい鉱物が産出するのは何かの因果のように思えてなりません。
しかし「ガネーシュヒマール産の水晶」では厳密にはあまり産地情報の意味を成していないという事だけ覚えておきましょう。 ガネーシュヒマールはあくまで採掘現場から遥か遠方に見えているヒマラヤの峰です。 本当の「産地」に関しては後述してゆきます。
【鉱脈調査裏話コラム002:産地名の現状】
何かと話題となるヒマラヤ水晶の産地ですが、今回の調査を通じていかに産地情報に間違いや混乱があるか、という事がわかりました。 高度3000メートル近い峻険な崖で採掘されるヒマラヤ水晶ですから、実際に見て確かな情報を得るのは大変な事です。 私も長年に渡り現地に赴く度、そしてメールでもまめに連絡を取り、数名の村人や業者に産地や鉱山の事を聞いてきましたが、見ると聞くとでは大違いでした。 実際に掘っている鉱夫以外の情報のいかに曖昧な事でしょうか。
まずはヒマラヤ水晶が採掘され、市場に出回るまでの流れを見てみましょう。 鉱夫は同村出身の3名から5名ほどがグループを作って鉱山に篭って採掘を行います。 場合によっては食料や衣服を持ちこんで、岩壁に簡易のテントを張って数週間篭る事もあります。 そしてある程度の採掘が終わったら、数キロ数十キロを持って自分達の村にまで戻ります。 「××キロの水晶が○○村に来た」という情報が入ると、何処からともなく複数名のブローカーが村までやってきて交渉が始まり、そこからダディンベシやカトマンズに流れてゆきます。 そしてブローカーはカトマンズの業者に売り、その業者が我々の様な外国人業者に水晶を卸すというのが基本的な流通経路となります。 場合によっては数名のブローカーを通る事もあります。
で、手を介しているうちに色々な事が曖昧になってしまうのです。 実はこういうことが良く起こっているんだ、と思った事例は村人の村が産地と間違えられているケースです。
裏話コラム001に記載の通り、水晶の最も良質で産出の多い地域は高度3000メートル前後一帯になります。 しかしこの周辺に村はなく、通常は麓の村から鉱夫達がここまで遠征してきて採掘します。 特に鉱夫が多いのはラパ・レー・ティプリン・カディン・ヒンドゥン・ヤルサ村ですが、中でもこの周辺を掘っているのはラパとレーの村人が多いようです。 そして彼らが村に水晶を持ちかえり仲介人の手に渡ってゆくのですが、この「取引のあった村」が産地と間違えられてしまうのです。
1つの例が当店でも出しておりますが、細いクローライト水晶が放射線状にクラスターを形成し「かきあげ」のように見えるタイプ。 グリーンスターとも呼んでいるものです。 こちらは私が手に入れたのは5年6年かそれ以上前ですが、
取引業者から「レー(リー)産」として仕入れたものです。 ですがレー周辺には大規模な鉱山が無いという事がわかりましたし、このかきあげタイプはどう見てもタンタブレ鉱の典型的な形状なのですよね。 これって結局レー村の鉱夫が掘ったからレー産と間違われているのでは、と思うのです。
ラパ産もそうですね。 この一帯は全部「ラパ地域」ですからラパ産は間違いではないのですが、各鉱山のものすべてが、ラパ村の鉱夫達がラパ村で売ったものはラパ産となりがち、だと思います。
今回ティプリン側の鉱山は調査出来なかったのですが、ティプリン地域にも複数の鉱山があり同様の事が言えると推測されます。 ピャンチェ鉱山リンジョ鉱山などあるそうですが、ティプリン村からは随分と離れているようです。
まさにラパの川向かいと同じで3000メートル弱の所に鉱山が密集しているとの事。 これらもティプリン村に集積され、ティプリン産として出回っているのでしょう。
それこそ大まかに川(アンクコーラ)を挟んで西側がラパ周辺エリアであり東側がティプリン周辺エリアですから、まあラパ産・ティプリン産という大まかな括りでも良いのかな、と思います。 そこまでを気にする現地業者もほとんどあれいませんし、そこまで正確な産地情報が必要だと思っている業者も今まではありませんでした。 極端にいえば私がそういった情報を欲するようになり、ここ数年になって現地業者もそれらを調べるようになったと言えます。 私はどうしてももっと細かくまで知りたくなったので鉱山に至るまで実際に見て歩き、調べ上げましたが、ここまでの情報を知りたいのは私とスパイキーパサルのお客様くらいかもしれませんね。
<追記:ゴルカ産はどうする?>
コラム001番と002番を踏まえた上での問題はガネーシュヒマール産またはラパ産として一緒に売られているゴルカ産ですね。 ゴルカ地区はダディン地区の東の隣ですが、反対側の丘陵になります。 実は10年以上も前からこの地域では鉱山が稼働し続けているのですが、私もダディン産(ラパ産)であると思っていたものが実はゴルカであるとは最近まで知りませんでした。 ゴルカでもダディン地区の様な緑泥入りや透閃石入り、緑閃石入りからスモーキー、透明な水晶まで産出します。 どれがダディン産であり、どれがゴルカ産であるかを見分けるのは非常に困難といえるでしょう。 しかしこれらゴルカ地区のものもラパ周辺の村人が掘っており、各自の村に持ち帰るためラパ産やガネーシュヒマール産として売られております。 ダディン地区のゴルカ寄りの鉱山とゴルカ地区のダディンよりの鉱山は目と鼻の先ですが、山の反対の斜面となるゴルカ地域からはもはやガネーシュヒマールの姿は全く見えず、他のヒマラヤの白い峰を臨む事になります。 ならばゴルカ産の水晶はその峰の名前であるべきなのかもしれませんね。 ※ちなみにゴルカ側から見えているヒマラヤの峰の名前はわかりませんでした。 地元の人間にしても見えているヒマラヤの名前なんて気にしない、というのが現実なのですよね…。
【鉱脈調査裏話コラム003:放牧地が鉱脈への鍵~ヒマラヤ水晶の歴史を垣間見る~】
随分と以前からこの話をしておりましたが、再度この話です。 ガネーシュヒマールエリアといいましょうか、ダディン地区に住んでいるのはほとんどがタマン族という民族になります。 チベット系民族ですので顔は我々日本人のようであり、小柄ですが非常に屈強な体を持つ男が多いのがタマン族です。 こんな奥深い山間部ですがタマン族の村はダディン地区一帯に散在しており、その中でも大きな村がラパとティプリンになります。
このエリアは高度2000メートル付近にまで村があり、基本的には農作物の栽培を生業としており、美しい段々畑の風景が広がっております。 最近では山間の村でも携帯電話が使えるようになってきておりますし、場所によってはインターネットの電波が届くようにもなってきました。 病院や学校もあります。 随分と便利になってきたとは言うものの、よくもまあこんな山間に人は暮らせるものだ、というのが私の印象でした。
彼らのもう一つの生業は山羊追いです。 山羊の放牧というのは山間部の民族の重要な仕事のひとつです。 ネパールでは山羊は大のご馳走であり、お祭り事には欠かせない食肉でもあるのです。 特に毎年秋頃に行われるダサインというお祭りになると(日本の正月の様なものをイメージして下さい)たくさんの山羊が山から下りてきてカトマンズや各地の町・村で売られてゆくのです。 ヒンドゥ教徒のお祭りであるダサインでは、多くの山羊が生贄として神様に捧げられ、
その後は滅多に食べられないご馳走として祭の際の食卓に乗るのです。 したがって山羊肉は高級品、山羊一頭は数万ルピーで取引されるのです。
この山羊を放牧し育て上げるのがタマン族を含む山に暮らす民族の仕事です。 気温の高い夏場は標高3000メートル付近で放牧し、気温の低い冬場は標高1500メートル付近にまで下ろすのです。 ですから実際にこのエリアを歩くと多くの放牧地にあたります。
私が以前ガネーシュヒマールの鉱山を調べていた際に、「カルカ」という名前の鉱山が多いということを指摘した事がありますが、この「カルカ」というのはタマン語で「放牧地」という意味だったのです。 私は漠然と「崖」みたいな意味ではないか、と推測していたのですがタマン族のガイド曰く「山羊を放す為に木を切ってあるところ」なのです。 これまさに放牧地ですね。
実際にガネーシュヒマール周辺の地図を広げてみると、「カルカ」と名のつく地名の実に多いこと。 そしてカルカを繋ぐように道が作られているのです。
で、この放牧地は我々キャラバンの野営地としても大活躍でした。 3000メートル付近の冬場のカルカですから山羊はこの時期おりません。 開墾されているのでひらけておりますしテントも張れます。 薪をくべる事もできれば近くにはだいたい水を補給できる小川があります。 実に居心地の良い空間なのです。 ちなみにカルカには丸太で雑居房が組まれているところも多く、山羊のいない冬は鉱夫がこの雑居房に泊まり込む事もあります。 簡易な毛布や炊飯道具も雑居房においてあります。 もともとこの雑居房は羊飼いが夜を過ごしたり山羊たちを夜に眠らせる場所ですが冬の間はこのように鉱夫達が簡易な宿泊所として利用するのです。
そして各鉱山を巡っている時に確信に変わりました。 このカルカが鉱山への鍵なのではないか、と。
どの鉱山も一度カルカを経由してから道を逸れて道なき道を行きます。 カルカから見える鉱山もあれば、カルカが鉱山の場所もあります。 ご存知チョンテンカルカはチョンテン放牧地ということですが、チョンテンカルカの鉱山もこのチョンテンの放牧地から道を外れて数百メートル下った所にございます。
つまりヒマラヤ水晶の始まりは彼らタマン族が放牧地を開墾している最中にたまたま水晶の鉱脈にあたり、「何やら不思議な石が採れるぞ」となったのでは。 もちろん当初、それが水晶である事を知る由も無かったでしょうが。 そしていつか誰かがカトマンズにでも持ってゆき…あとはそれがまるで必然であるかのように現在の状況にまで至ったのだと思います。 ヒマラヤ水晶はまだ歴史が浅く本格的に採掘が始まって20年ほどなのですが、そのもう少し前から「放牧地で採れる不思議な石」の噂は広がっていたのでしょう。 80年代の中盤から後半、あるいはそのずっと前から羊飼い達はその存在を知っていたのかもしれません。
「村人は山羊を追うのを止めてつるはしを持った」なんて皮肉が言われますが、満更でもないですね。 今やこの地域一帯において最も金のなる木は他ならぬ水晶なのです。 過酷極まりない労働ではありますが、産業の細いこの地域においては水晶掘りが地域産業の金銭源となり始めているのです。
以上、カルカ(放牧地)とヒマラヤ水晶の採掘地の密接な関係でした。 実際に鉱山を巡り現地を歩きまわると、面白くて興味深い発見や推測が次々と生まれるのでした。 見ると聞くとでは本当に大違いなのですね。
【鉱脈調査裏話コラム004:危険だらけの採掘現場】
ひたすら山を登り、カルカを越えて道なき道を越えた先にあるのがヒマラヤ高地変成岩帯、つまりヒマラヤ水晶の採掘場です。 その行程は想像以上に厳しく、時には死の危険さえも伴うものでした。
ダディンベシ(ダディン県の県庁所在地)から鉱脈のあるエリアまでは丸3日間山中を歩きとおすことになります。 山道はまさに「山あり谷あり」ですが、基本的に山道は村々を結ぶ生活道でもあり、カルカとカルカを結ぶ放牧道でもあります。 ですからある程度の整備がされております。 石畳が作られている部分もあれば、谷には丸太等で橋がかけられております。 このトレイルルート(生活道)に沿っていれば、道に迷うことも無く、危険な滑落などは免れることになります。
高度3000メートル周辺の鉱脈地帯には村はなく、一番近い村からでも鉱山地帯までは4-5時間ほど登ることになります。
鉱夫達が自分たちの村から鉱山まで登ってくる際もこの生活道や放牧道を通りますので、そこで危険な目に遭う事は稀になります。 しかしながら私がラパ村のガイド(元鉱夫)に聞いた話では、彼の知る限りでもこの18年で7人もの鉱夫が事故死したのだとか。 18年で7名、多いと思いますか? 少ないと思いますか? 私もこの18年間で何人の鉱夫が採掘に従事したのかは知らないのですが、規模の小さなヒマラヤ水晶の鉱山です。 千人万人という単位ではございません。 少なくみて100人、多くみて200人という数になってくるでしょう。 7人/100人、7人/200人、鉱夫の絶対数を考えると死亡事故にあたる確率は決して低くないですね。 我々のガイドもすべてを把握している訳ではないので、彼の知る7名以外にも死に至った事故というのはあったと思うのです。 もちろん18年より以前にも事故があった事でしょう。 それを考慮すると事故に遭う確率はさらに高くなってくるのです。
ではどのような事故でしょうか。
滑落および崩落です。 それが鉱山における事故のすべてです。 前記の通りトレイルルートに乗っかっている間は問題ありません。 しかしトレイルルートから抜け、鉱山に至るまでの道はまさに道なき道、ぬかるんだ土に足を取られ、草の根でも掴むようにして急こう配を下ります。 ここから危険度が一気に増すのです。
実際に鉱山に至る途中の道で滑落したケースもあったそうです。 1年も前に満たないそうですが、リムションという鉱山に向かうその場所で「ここだよ」と言われた時は少し背筋がぞっとしました。 あまり危険な場所に見えなかったのですが…土が柔らかく、下が見えないほどに急だったことは覚えています。 ラパ村の若い鉱夫だったそうです。 しかし山歩きは彼らの日常、我々の様な素人でないのですから道なき道でもそこで滑落する可能性は低いものです。 最も危険なのは採掘場周辺、つまり鉱山ですよね。
鉱山の多くは「崖」です。 土を掘ったら水晶が出てくるわけではありません。 岩肌が剥き出しになっている崖をカチ割ると鉱脈があるのです。 鉱山によっては崖の斜度が無く、穏やかな鉱山もあります。 しかし急な鉱山になると下を見るのも恐ろしいほどの斜度になります。 それこそ下は奈落の底。 しかも足場が非常に悪いのです。
鉱脈のある岩盤をハンマーや鏨(たがね)で砕いて鉱物のある空間に至るのが採掘の作業になるのですが、砕かれた岩盤は、そのまま外に吐き出されます。 その細かな岩や砂はどんどん堆積し、ズリズリな足場を作ります。 目の粗い砂利の上を歩くことを想像してみて下さい。 非常に滑りますよね。 それに角度が付いたら…ズリッと足を滑らすと思いませんか。 それが鉱山の環境です。
本当にズルズルと足が滑りやすく私も何度か肝を冷やしました。 もしも落ちたら、、、掴むものも無く数十、数百メートル転げ落ちることになります。 遺体を回収してもらうこともできないでしょうね。 このような事故例が数件あるそうです。 そんなところでも村人たちは慣れた様子で忍者のようにひょいひょい飛び回ります。 まさか山に慣れた自分が落ちるとは思っていないのでしょうが、責めてロープでも着けてくれれば滑落も防げるだろうに…と憂いてしまいます。
滑落よりも恐ろしいのが崩落です。 つまり採掘の最中に岩盤が崩落して下敷きになってしまう事故です。 不注意よりも不運の事故かもしれません。 崩落はどんな鉱山でも必ず起こってしまう事故です。 岩がゴロッと崩れ落ちてくれば助かる可能性は非常に低いですよね。 またその後の処理も鉱夫仲間たちにとって辛いものとなります。 我々のガイドが「あの鉱山で数年前に何人、この鉱山で一人…」と寂しそうに話していたのをよく覚えております。
また私が実際に鉱山で働く鉱夫達を見て思ったのはあまりに安易な姿で採掘しているな、という事です。 彼らにとっては裏庭なのでしょうが、肌剥き出しの短パン姿で作業している鉱夫もいましたし、頭を守るヘルメットなどはもちろん無し。 一応マスクやバンダナで口を覆っている鉱夫もいましたが、あれでは石の粉塵が相当体の中に入ってしまうだろうと思います。 後々肺の病気に苦しめられたり、場合によっては死に至るかもしれません。 そういった事は気にしていないのか、あまり理解していないのか、兎にも角にも装備が簡易過ぎます。 万全な装備が手に入らないというのもありますが、装備があれば防げる事故もあるのかもしれません。
このような環境でまさに「命懸け」でヒマラヤ水晶は掘られております。 採掘された水晶は時に数十キロに及ぶでしょう。 それらの水晶を篭に詰めて背負い、峻険な崖を登ります。 トレイルルートに出ればそこから数時間、数日掛けて自分の村に戻るのです。
ヒマラヤ水晶の鉱脈は特別に辺鄙な場所でしょうが、石の鉱山とは多かれ少なかれ同じような環境なのだと思います。 お店に陳列されている石達はキラキラに輝いて美しいものですが、それらの石は鉱夫達が命を危険に晒して泥まみれになって掘っているものだと知って頂ければ嬉しいです。
※これらの情報はスパイキーパサルが独自に収集したものであり、すべてスパイキーパサルに帰属します。 情報は財産です。 無断でのご使用はお控えの上、他の業者・個人様が参考として記載する場合はご一報ください。 これらの情報の無断使用を見つけた場合はご連絡下さいますようよろしくお願い致します。
※掲載してある写真もすべて鉱脈調査で撮影した写真になります。 ご連絡を頂ければ大きな写真を差し上げます。